数千を超える呪われた人形達が残る島。メキシコ・ソチミルコにある人形島

人形島

毎年、多くの写真家達がスリルを求めてこの島へ訪れる。この奇妙な島の名前は人形島。

メキシコシティ・ソチミルコ区からボートに乗って2時間。森深くまで進むとこの人形島に辿り着く。そこには、酷く傷ついた数千もの人形たちが、木から吊り下げられている。人形島一体これらの人形は何なのか?人形島は、とある1人のメキシコ人男性によって作られたという。
人形島彼は、「人形を吊るすことで、ある幼い少女の亡霊を鎮められる」と信じていた。その少女が亡くなったのは50年以上も前になるが、今もなお森に取り憑いているという。

今は亡きメキシコ人男性の名前は、ドン・ジュリアン・サンタナ・バレッラ氏。ジュリアン・サンタナ・バレッラ氏今から17年前(2001年)に亡くなっている。釣りをしていた1人の少女が近くの運河で溺れ亡くなってから、すぐにこの森に住むようになったという。当時は、少女の叫び声や足音が暗闇の中でいつも聞こえると周りに伝えていたそうだ。 人形島バレッラ氏はなぜ人形を吊り下げたのだろうか?それは、少女が亡くなった運河に浮かぶ人形を見つけたからだった。彼は、少女への哀悼(あいとう)の印として、その人形を木から吊り下げた。
人形島その人形に少女の幽霊が取り憑いていると信じていたのだ。バレッラ氏は、少女の呪いを鎮めるため、さらに多くの人形を木に掛け始めた。
人形島だが、全ての人形を彼が用意したわけではない。彼が亡くなった後、この場所は人気の観光地になった。訪問客たちが人形を持ち込み木に掛けていったのだ。 人形島なお、バレッラ氏の親族は、今この人形島を観光地として経営しているという。人形島現地に住む人々は、「まるで魔法のような場所」というが、訪問客たちはいつも「人形達が囁きかけてくる。」と訴えるそう。人形島バレッラ氏は、少女の遺体が運河に流れているのを見つけ、その命を救えなかった自分自身を責めていたそうだ。恐怖心に襲われた彼は、人形を吊ることで自らを少女の幽霊から守ろうとしていたのだ。その年月は50年。少女の幽霊を鎮めるため、死に物狂いになっていたという。人形島森の中で静かに暮らしていたバレッラ氏だが…彼は一体どのように亡くなってしまったのだろうか?遺体が発見されたのは2001年のことだった。彼の甥が運河で溺死しているバレッラ氏を発見した。そう、少女が亡くなった運河だ。人形島親族によると殺人事件というわけではなく、心臓発作が原因だったという。吊り下げられた人形達の中には、昆虫が侵食されているものもある。人形島観光客たちは、恐ろしげな人形達に思い思いに手を加えたり、バレッラ氏の遺族達に寄付を施すことも多いそうだ。人形島なお、この人形島には複数の説がある。一説によるとバレッラ氏は、自分の恋人と別れたことが原因でこの場所に生活し始めた、という話がある。野菜と花を育てては、最寄の町で売っていた彼は、町でも人と話さなかったという。また別の説によると亡くなった少女はそもそも存在さえしておらず、少女はバレッラ氏が作り上げたフィクションに過ぎないとする調査報告もある。人形島真相は一切不明だが、彼と親しかった人々は言う。「バレッラさんは目に見えない何かに突き動かされていた感じだった。」と。だが、バレッラ氏の親族によると、彼が溺死してしまった少女の魂を信じていたことは間違いないという。

これらの写真は、写真家シンディ・ヴァスコ氏が現地へ潜入した際に撮影したもの。

ヴァスコ氏は「小さな島の上で、何千もの人形が木から吊り下げられている、あまりに非現実的な光景に衝撃を受けた。」と語っている。

▼現地には、人形達を祀(まつ)る祭壇があり、液体に漬け込まれた古いマッシュルームが収められていたという。人形島ちなみに人形は吊り下げられるだけでなく、フェンスや建物に置かれている物も多かった。長い時間、自然の力で風化した人形たちはクモの巣で覆われ酷い状態。髪にシラミが付いているものもあったという。人形島有名な「チナンパ(湖上の畑)」の地域として知られるこの一帯は、1987年にユネスコ世界遺産として認定され、観光産業が拡大していた。写真家・ヴァスコ氏は、「噂を聞きつけやってきた観光客たちも人形島を見れば震え上がるに違いない。」と語っている。人形島人形島人形島人形島人形島人形島人形島人形島人形島人形島人形島こちらは、人形島の入り口と内部を捉えたグーグルアース写真だ。地図の中はほとんど移動することができないが、おびただしい数の人形が確認できる…。

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