それは壮絶な最後だった。初めて宇宙に行った犬ライカに関する10の悲劇

宇宙に行った犬-ライカ

ライカという名前の犬をご存知だろうか。動物の中で初めて宇宙を旅した雌性(メス)の犬、それがライカである。1957年の11月3日にソビエト連邦が打ち上げた世界初の宇宙船スプートニク2号に乗り、有人宇宙船の実現へと導いた、まさに伝説の犬だ。

当時はクドリャフカとも呼ばれていたが、後に本当の名前はライカであるとソ連が報道発表している。

ライカは宇宙科学において人類に大きな進展をもたらしたが、ライカが体験した最後は想像を絶するほど恐ろしいものだったという。ここではライカ(クドリャフカ)に関する10の事実について見ていこう。

10,ライカはただの放浪犬だった。

宇宙に行った犬-ライカ宇宙計画に参加した犬というと、何か特別な力を持っていそうな気がしてならない。しかし、ライカはモスクワの通りを彷徨っていた普通の雑種犬だった。

アメリカ人が猿を使おうというのに対して、ソビエト連邦はライカのような犬はしつけが簡単であることを知っていた。街中に彷徨う犬を集めだして宇宙空間に耐えるための訓練を始めたのだ。

選ばれた3匹の犬はそれぞれ「ムシュカ」「アルビナ」「ライカ」と名付けられた。ちなみに初めてロケットに入り弾道飛行テストをクリアしたのはライカではなく、アルビナだった。

またムシュカは、生命維持をテストするための宇宙プログラムに当てられたが、テストはご飯を食べられなくなるほど恐ろしいものだったという。

9,ライカが戻れないことは初めから分かっていた。

宇宙に行った犬-ライカ宇宙に飛んだライカが地球に戻れないことは出発する時点で確定していた。なぜならライカが乗ったスプートニク2号は大気圏を安全に再突破するための設備が付いてなかったのである。後にソ連は、「ライカは用意された毒入の餌で安楽死させた」と伝える。

このライカを使った壮絶な宇宙計画にイギリス国民は反対デモを勃発。ソ連の大使館に動物虐待を反対する電話がなり続けたという。

ソ連はなぜ皆がそんなに動揺しているのか理解できなかった。「ロシアは犬を愛している。これは人類の利益のために必要なことだ!」と答えたのだ。

8,ライカの死は避けられた。

スプートニク2号当初の計画ではライカは地球に帰って来るはずだった。ソ連はライカが快適かつ安全に帰って来るための技術を持っていたのだ。

しかし、責任者によって方向性が変わってしまった。ソ連の第4代最高指導者ニキータ・フルシチョフによって現実は悲惨なものになってしまう。フルシチョフは、ライカの宇宙旅を国の宣伝の1つとして考えていたのだ。

また、ソビエト革命40周年に合わせてスプートニク2号を宇宙で爆破させたいとも考えていたという。この思想により当初の計画は廃止。地球の軌道に乗せることはできるが、帰って来ることはできないスプートニク2号が誕生したという。

科学者のボリスチェルトックによると、このスプートニク2号は開発期間をしっかり用意して設計も十分に考慮していれば帰還することもできた。と語っている。

7,ライカはかなり狭い空間で旅をしていた。

スプートニク2号-ライカ(クドリャフカ)ライカが実際に乗ったスプートニク2号は一般的な洗濯機よりもほんの少し大きい程度だった。

当然中もかなり狭く、ライカは転がるスペースすらなかったという。この空間に慣れてもらうため、ライカと訓練を受ける犬達は20日の間さらに狭いケージで飼育されていた。

そこは閉所恐怖症ではとても耐えきれないような空間。犬達は下剤を与えられても効かないほどの便秘状態になったという。それほど恐怖とストレスが溜まる場所だったのだ。

6,ライカを選んだ科学者はライカを愛していた。

ウラジミール・ヤズドフスキー博士ライカを路上で選び訓練を施したチームのリーダー“ヤズドフスキー博士”は発射前の4週間、誰よりもライカの近くにいた人物だ。

彼は、スクープニク2号の出発前日にもライカを自宅に招き子ども達と遊ばせたという。博士はライカが死んでしまうことを知っていた。だからこそ、ライカに素晴らしい家族のような体験をさせてあげたかったという。

ライカの発射日にはチーム全員でライカの鼻にキスをして「よい旅を。」と見送った。

5,彼女は宇宙船に恐怖を感じていた。

ライカライカは宇宙船の発射予定日にすぐには打ち上げられなかった。スプートニクに修理しなければならない故障が見つかったのだ。その間3日間、ライカは動けなくなるほど寒い場所で待機していたという。科学者はライカの体調管理のために最前を尽くした。

待機場所にエアコンを設置し、ヤズドフスキー博士が発射まで終始見守っていたという。そして1957年の11月3日、ついにライカは地球から離陸。

宇宙船が地球から離れていくにつれてすぐにライカはパニックになった。心拍数と呼吸の速度は通常の3倍まで加速し、無重力空間に到達するとようやく落ち着いたという。地球から初めて動物が宇宙に飛び出した瞬間だった。

4,ライカの死は恐ろしいものだった。

ライカ-宇宙犬ソ連は計画後の数年間、ライカが数日間に渡って地球軌道の周りを“生きたまま”漂流したことを主張。ライカは自分に用意された毒入りの食事を食べて安楽死したと主張した。

しかし、2002年。打ち上げ計画に関わったディミトリ・マラシェンコフ氏は論文で「発射の7時間後にライカは死亡していた。」と発表。ライカは加熱とストレスにより死んだと論文で説明しているのだ。

スプートニク2号の断熱材は一部が損傷したことで宇宙船の内部は41℃まで上がり、脈拍が落ち着くまでの時間が地上での訓練と比べて3倍以上もかかっていた。また5〜7時間後には生命反応が送られてこなかったという。

事実は誰にも分かっていないが、これが真実であればライカの死は想像を絶する苦しさだったに違いない。

3,スプートニク2号は大気圏の再突入時に崩壊した。

スプートニク2号ライカの棺となったスプートニク2号は、彼女の死後も地球の軌道を5ヶ月間2570回周り続けた。そして1958年の4月14日に地球の大気圏に入り燃え尽きたという。

同日に米国の東海岸でUFOのようなものが目撃され、青白い鮮やかな物体が信じられないほどのスピードで空を横切っている姿が報告されている。その物体は突然赤くなり、船体の一部が切り裂かれ空で分解していった。このUFOがスプートニク2号とされている。地球に到達することはなかった。

2,補欠犬ムシュカもすぐに死んでしまう。

ムシュカ-宇宙犬補欠として訓練され地上で待機していた犬、ムシュカもライカを追うように宇宙で亡くなってしまう。

ムシュカは宇宙空間での放射線の影響を研究するためにラットやマウス・植物などと一緒にロケットで発射させられた。当時ソビエトはこの研究ロケットも大気圏内で燃え尽きた。と説明したが、報道機関による発表は恐ろしいものだった。

ロケットがどこに着陸するか知る術がなかったソビエトは、敵であるアメリカにロケットが渡ることを恐れて船内に爆薬を配置。船内の動物を全て殺したという。

1,ライカ達の死がもたらしたもの。

ユーリイ・ガガーリンチームの科学者の1人である“オレグ・ガゼンコ氏”は、ライカは確かに宇宙旅行の世界を広げてくれた科学の象徴的存在だった。しかし、2度とこんなことを繰り返してはいけない。この失敗から人間は学ばなくてはならない。と世界に伝えたのだ。

ライカが宇宙に旅立ってから4年も経たずに人類で初めてユーリイ・ガガーリンが宇宙からの帰還に成功する。

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