地球上で最も人口密度が高かった場所「九龍城砦」の生活状況がわかる内部写真

九龍城砦の外観

中国に今も存在する九龍地区・・この場所には、かつて「地球上で最も人口密度が高い場所」と称された巨大なスラム街があったんだ。その名も「九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)」。

約5万人の人々が暮らしていたこの場所で、住民たちは一体どのように暮らしていたのか。ここでは、カナダの写真家グレッグ氏とラン氏の2人(Greg Girard・Ian Lamboth)が九龍城砦・解体前の5年間に捉えた写真とともに、その歴史を見てみよう。

畳1枚あたり3人の世界

九龍城砦の外観九龍城砦では、0.026km²の面積に約5万人の人(3万3千の家族)が密集生活をしていたとされるが、これは一体どのくらい凄いことなのだろうか。

比較として、東京ドームの面積は0.047km²で観客の収容人数は4万5000人だ。アリーナを解放したコンサート会場形式の中で大人数が共同生活するようなものだろうか。

ちなみに人口面積は、約190万人/km²とされている。これは畳1枚当たりに3人いる計算だ。

かつては塩を守る軍事要塞だった。

九龍城砦の外観九龍城砦の歴史は古く、中国の宋(そう)時代(960年〜1830年)にまで遡る。当時、多くの塩を産出していたこの場所では、港に海賊が現れることも多く治安を脅かしていた。そのため、塩の生産を管理する監視所として軍事要塞が建てられていたという。

しかし、1941年の第二次世界大戦で香港が日本に占領され一部が破壊されることに。1945年には日本の敗戦によりイギリスの植民地に戻るも、中国の不法占拠者が多量に現れ、1974年までは中国の犯罪組織「三合会」によって街が管理されていたという。

その結果、犯罪者や薬物使用者の避難所となってしまったのだ。

あらゆる建築法を無視した増築

九龍城砦そんな九龍城砦には、家と家同士が繋がる300もの連結部分があった。だが、始めからこんな状況だった訳ではない。

1960年〜70年代にかけて、高さ以外のあらゆる建築法を無視した増築が繰り返された。「九龍城砦に入ると二度と出られない。」と都市伝説のように囁かれるほど、完全に迷路のようなスラム街と化したのだ。

内部の住民たちは一体どのような生活をしたのだろうか。

密閉されたスラム街の中で唯一解放された場所。

九龍城砦の屋上薬物と犯罪で満ちていたとされるが、実際5万人の内のほとんどの人間は平和に暮らしていたという。迷路と化したスラム街の中で唯一狭い空間から解放され、新鮮な空気を吸える場所は屋上だった。

屋上で遊ぶ子どもたちの声は、100Mの距離にある啓徳(けいとく)空港の飛行機にかき消されるも、そこは幸せな空間だったのだ。

犬の肉を出すフードコートや怪しげな歯科医達

九龍城砦の内部
九龍城砦の下層部分は、閉所恐怖症にはとても耐えられないような場所になっていた。さらに、犬の肉を提供するフードコートがあるだけでなく、免許を持っていることすら怪しい歯科医師などもゴロついていたという。
九龍城砦と政府香港全体に比べて生活の質や衛生状態が悪いことが懸念され、ついに政府から取り壊し令が出されてしまう。1991年には、香港政府が27億ドルの費用を費やし住民の避難と撤去。1992年についに解体されることになったのだ。
内部に暮らしていた人々は皆「我々は幸せだ!」と訴えたが、半ば強制だったという。

当時の様子(写真)

九龍城砦の内部の様子以下の写真達は、1992年に九龍城砦が解体される前の生活状況を撮影した様子だ。

1980年代の初頭には、売春宿やカジノ、コカイン・アヘンなどの薬物販売店が相次ぐも平和に暮らす姿が垣間見える。九龍城砦の散髪屋九龍城砦の薬屋九龍城砦九龍城砦九龍城砦九龍城砦九龍城砦九龍城砦九龍城砦九龍城砦九龍城砦九龍城砦1993年には公開されたジャッキー・チェンの映画「新ポリス・ストーリー」の爆破シーンに使われることもあった。九龍城砦
子どもたちは料理に使う作業台の上で遊んだり、宿題を済ませていたという。九龍城砦

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